ひょんなことで自分とむきあう。これってメンタルブロック外し?

ある方からご縁をいただき、現在、出版本の編集に携わらせていただいています。

実際に出版されるのは、まだまだ先の話です。

これまで、広報物の編集作業は経験ありましたが、

販売される本の編集というのは初めてのことで、

なんとも言いがたい高揚感があります。

本の内容はここでは差し控えるとして、この作業を行っていくなかで、

とても不思議な感覚を覚えたので備忘録として記します。

 

編集ということは、例えば著者である方の考えにふれなければできません。

その方の考えや書かれているものを自分の中で咀嚼しながら、

どう組み立てるのが良いのかを考える。

もちろん私一人で考えるわけではなく、

著者の方とやりとりしながら、その方のお考えを前提として考えます。

もしかすると鳥の視点で俯瞰して、客観的にその方の考えや思いを受けとめ、

編集していくことが良いのかもしれませんが、

不器用な私は、どこかでその方に憑依するようなそんな感覚があります。

そのうえで客観視するという、そんな感じで作業を進めてきました。

 

著者の方のお考え、思いを深堀りする、そんな作業を繰り返していたのですが、

これがなぜか自分を深堀するというか、

自分を見つめ直すことにつながったような気がしています。

自分ではない人格について考え、見つめていたのに

それが結果、自分を見つめ直すことにつながるとは、

作業を始めた当初は思ってもみませんでした。

結果、自分のダメなところ、無意識のうちにかぶっていた鎧や

ついてしまった垢のようなものがとれるような、そんな感覚を覚えました。

こういうのをメンタルブロックが外れたというのかしら。。。

 

3年くらい前に、ファシリテーションプロフェッショナル講座だったか、

そういうのを受けた時に、スキルではなく、あり方を問われ、

もはやこれはファシリテーション講座というより自己啓発講座ではないかとさえ

思うような内容で、自分の問題点をつきつけられました。

その時は、なんとなく感じたような、わかったような気がしていたのですが、

じつはぜんぜんわかっていなかったことを今更ならが実感し、今になって、

あの時できなかったことができるようなになったような感覚を覚えました。

 

自分自身を問われ、自分を省みるように力を入れていたことが

逆に自分を頑なにしていたのかどうかわかりませんが、

自分以外の人の本音、本質に向き合おうとした結果、

それが自分と向き合うことになったとは、なんとも面白いなぁと思っています。

 

この編集という作業、苦しいですけど、とても楽しい。

もっともっとそういう仕事を増やしていきたいなぁと思うこの頃です。

のんびりな短気。

釣り上手は短気らしい。
本当かどうかはわからないけど、釣り好きの知人を見ていると思いあたる。
その人は車に乗ってエンジンをかけるまでのスピードが恐ろしく早い。
短気と言うよりせっかちなのかもしれないが、
動きの鈍い私は車に乗せていただくたびに焦りまくりだ。
その人を見ていて「釣り上手は短気」の意味を考えてみた。

釣りが魚との勝負だと考えれば、
魚がかかるまでは只々のんびりと待たなければならない。
が、しかし、魚が針にかかった途端一瞬の勝機を見逃さず、
魚を釣り上げる体勢に入らなければ勝負に負ける、
つまり魚をゲットできない。
この一瞬の勝機を瞬時に見破り、
次の行動に出るところに短気の長所が活かされる。
気が長いだけの人だと、勝機をのんびり見過ごしかねない。
相手の状況を見据え、じっくり待ちかまえることと、
瞬間的に勝機を見破る素早さを兼ね備えることが釣り上手の秘訣なのだ!

と言っても、私の勝手な仮説だが、釣り上手の「短気」は、
すぐにイライラする短気とは異なる深い意味があるに違いない。
これは、仕事上手にも通じる話しだ。
釣り好きの知人はもちろん、私のまわりの仕事上手は
ゆっくり待つ余裕と勝機を見破る鋭さを兼ね備えている。
ひと言で言えば「のんびりな短気」なのだ。
のんびりだけでも短気だけでもない、絶妙なバランスの持ち主たちである。

みちる。

私は、わが家の初めての子ども。

つまり第一子です。

だからなのか、私の名前をつけるのに大騒ぎだったようで、

家族でいろいろ考えたあげく、

当時祖母が心のよりどころとしてたとある先生につけてもらうことになったそうです。

(ちなみに名前は、みちるではありません)

 

子どもの頃は、そうやってつけられた名前が好きではありませんでした。

なぜなら、例えば絵具箱を学校で注文したら私ともう1人の子だけ、

男の子の名前と間違えられ、水色の絵具箱だったから。

なぜか他の女の子と同じようにピンク色のそれに変えてもらえず、

それが壊れるまで水色のを使っていました。

今となってはどーでもいいことで、水色=男の子、ピンク色=女の子っていうのも

今の時代的には違うのでしょうけど、

当時は、とってもイヤでした。

 

そんなたわいもないことで、自分の名前を好きになれなかったわけです。

でも、高校生の頃からなんとなく好きになり、

今は自分の名前が好きです←どーでもいいw

 

いつのことだったか定かではないのですが、

私の名前について、母がぼろっと話したことがありました。

「本当はね、私は、ミチルってつけたいなって思ってたんよ。

チルチルミチルのミチルって(笑)」

えっ、マジで?!でした。

 

だからってどうということはないのだけど、

それ以来、みちるって名前が気になっています。

 

このブログを始めた時、最初は「人見知りフリーランスがくじけながら続けるブログ」というタイトルをつけていましたが、

なんだかえらそぶってるような、

「人見知りなのにフリーランスでやってるよ」ってアピりたいのかっ!とか

くじけながらって、どーでもよくない?とか、

自分突っ込みが続いていて、1日の間に

「みちると呼ばれたい」→「みちるみちるん」と修正し

最終的に今のタイトルになりました(今のところ)。

 

しばらくはこのタイトルでいこうと思っています。

 

フリーランスで働いているので、そのあたりのことや、

日々のなかでなんとなく思ったこと、考えたことなどを

綴っていきたいなぁと思っています。